yazawa157’s diary

感じるままに…

奇跡のホームレス

2017.4.20  彼との最初の出会いの日…

筑後市観光協会事務局の髙木さんが、私が当時住んでいた筑後市馬間田の借家に彼を連れてきた

彼の名は「ホームレス抹茶」くん

大阪松竹芸能所属の駆け出しのお笑い芸人

奇しくも同郷で実の息子と同じ歳

話を聞けば日本一周0円旅を続けている最中だと言う

面白そうだから面倒を見ることにして、そこから彼との不思議な親子生活が始まる…

 

当時私は「筑後市地域おこし協力隊」の任期満了による退職を控え、次なる生活を模索中だった

ただ、いくつか仕事の話をいただいていたが、色々な事情もあり決めかねていた

何れにしてもその借家は5月末までに退去しなければならず、引越しをどうしようかと苦悩していた

馬間田の借家に移り住んだのは2年前、ここでずっと住めると思い込み福岡市東区のマンションを手放して、大量の家財道具を持ち込み、築84年の古民家を人の集まるコミュニティスペースにしたかったから特注の囲炉裏まで入れた

その思いも虚しく契約満了で退去せざるをならなくなって人知れず苦悩していた時に彼は現れた

なぜ住めなくなったかの推測はついていた

これは後に書くことにして

引越しの見積もりを業者に取らせたらなんと20万円はかかると言う、しかも当然ながら行く先で値段も上がる

そこで抹茶くんに一緒に引越し作業を手伝ってもらうことを条件に面倒を見ることにした

彼は快諾してくれて、ここから彼は奇跡を起こす

 

私は36歳の時、大腸がんで死にかけた

理由は未だに不明だが、奇跡的に生かされ続け誤魔化しながら生きてきた

ところが、ちょうど1年前、眠ってたがん細胞がまた暴れだした

急激に体重も落ち、地域おこし協力隊の最終年度であったこの1年は日々痛みとの戦いだった

親しい人の献身的な配慮と筑後市馬間田の空気、風景がそれを和らげてくれたのは感謝の一言に尽きる

何とか地域おこし協力隊の任期を全うしたかったので、医師に勧められた強めの抗ガン剤の投与や、入院も拒否してきた

協力隊とは別に請け負った仕事も全うしたい気持ちがあった

 

そんな時に彼は現れた

 

彼と一緒に生活しだしても四六時中一緒にいた訳ではない

彼の今後を考えて色んなことを経験させたかったから色々紹介したり、連れ回した

 

「抹茶」と名乗るからにはお茶のことを勉強しろと、運良くちょうど新茶の季節で人手を必要としてた八女郡広川町の製茶園に修業に出した

柳川市の川下りを経験させ、西鉄柳川駅で開催された「おもてなし隊」にも参加させた

同じく柳川市で行った花魁道中船乗り込みの手伝いもさせた

福岡市でのバンドの練習にも、お笑いライブにも、高島福岡市長の市政報告会にも、地域おこし協力隊活動報告会PR活動にも同行させた

 

何より思い出に残ってるのは、同僚の地域おこし協力隊員の溝口くんと3人で馬間田の借家で即席漫才をしたこと

我が人生で3本の指に入るほど楽しかった

生きてることの素晴らしさを実感した

溝口くんも抹茶くんも我が子と言ってもおかしくない年齢

そんな2人と過ごしたあの時間は最高だった

その夜、痛みは感じなかった

 

数日後、通院の日、驚くことに検診の数値が軒並み安定していることに気づかされ医師とびっくり仰天‼️

原因なんかさっぱりわからない

色んな要素があるけど、やっぱり精神的安定と笑いは病に強い、これは医学的にも認められているという話もあるくらい

 

その結果を受けて私は決断した

抹茶くんの生き方を見て私は決断した

 

まだ、もう少し頑張れるかも…

 

その決断とともに、10日間かけて抹茶くんとの引越し作業がスタートした

自分で引越しの経験をしたことがある人はわかると思うが相当キツイ

しかも半端ない荷物量

早朝から深夜まで毎日のように作業は続いた

その間、彼はただの一度も嫌な顔をすることはなく、一切泣き言も言わなかった

本当はキツかったと思う

でも、私はなぜか楽しかった

彼とする引越し作業がなぜか楽しかった

しんどくなれば2人でギャグを言い合い励ましあった

このラスト10日間は彼との濃密なかけがえのない時間だった

引越しも終盤に近づいたある日、時刻は深夜3:00を回っていた

馬間田に着いて2人で見上げた夜空、馬間田から見る晴れた空は何度も満点の星空を見れたがこの日2人で見上げた夜空は最高だった

人生で初めて天の川らしきものを見た

しばらく2人で空を見上げてふと抹茶くんを見た時、

「もしかして、亡くなった親父とお袋が困ってる俺を見かねて、こいつを寄こしてくれたんちゃうか?」と思った

もちろん彼以外にも引越し作業を手伝ってくれた人もいる

本当に嬉しかった 感謝の気持ちでいっぱいだ

その中でも、抹茶くんは引越し作業の全てに関わってくれた

その全容をしるのは彼のみだ

 

6/16 私の筑後市での地域おこし協力隊活動報告会が決まっていた

彼をその舞台に立たせる約束をして抹茶くんは5/31、福岡をあとにして一旦大阪に戻った

 

彼が大阪に戻ってからまた体調が悪化した。

6/16活動報告会、無事にこなせるか不安いっぱいになった

腹から声が出ない苦しみが襲ってきた

でも、不思議なことに抹茶くんが筑後市に戻ってくる日が近づくごとに体調が良くなっていくのが自分でもわかるようになった

6/13活動報告会での音楽ライブの練習の時、不思議なくらいスムーズに声が出た

そしてその日の抹茶くんとの電話での会話

「抹茶ん、明日来れそうか?」

「はい、大阪からヒッチハイクして何とかして筑後市行きます!」

元気な声が返ってきた

 

彼は2日かけて大阪からヒッチハイクで戻ってきた

最終降車場所は八女市の漫画倉庫付近

一目散に迎えに行った

 

顔を見た時、素直に嬉しかった

おかげで6/16の活動報告会も無事に終了することができた

 

その活動報告会で一番嬉しかったこと

私が念願だったホールライブができたことなんかちっぽけなこと

そんなことより、活動報告会で抹茶くんに来場してくれた皆さんが募金してくれたこと

帰ってその箱を開けてみた

札もいっぱい、小銭もどっさり

なんと27,000円❗️

抹茶くんが見てなかったら泣いてた きっと

来場者の皆さんの気持ちを抹茶くんも噛み締めてた

本当にありがたい気持ちを思い起こさせてくれた

 

彼との出会いは運命だったのか

本当に不思議としか言いようがない

私にしかわからない彼のパワー

 

その抹茶くん、次なる出会いを求めて私との約束を果たして昨日旅立った

年末には東京でのライブ「天才万博」にきっと出演していると信じてる

 

その姿を見るために私も頑張りたい

 

抹茶くん、本当にありがとう

 

君と過ごした全ての時間

 

一生忘れない